誰かを批判してもそれは自分への批判となる。
正しい事、「こうであるべき。」というフィルターで物事を見ると、結局誰かを裁く。
裁きは心の牢獄。
自分を裁くことも他人を裁くことも、心を囚われることでしかない。
毎回どこかで自分を肯定するために、他力本願なところがあるかもしれない。
それが敵を見つけるという行為。
自分の行動と思考を選択して責任を持ちたい。僕はまだ思考のクセを変えきれていない。
ぼくは、いやみんな幸せになりたいだけ。
どうやったらみんな笑顔になれるのかな。
だからいまできること。それは僕自身が他人をゆるし、自分をゆるすことではないのかなと思いました。
ゆるすということは、その人の非道な行いを容認することではない。
せめぎあう葛藤とお別れすること。
本当のゆるしと肯定、学んでいきたいです👶
すでに上の文で書いたけど、「結局」っていう言葉もあまり使いたくない。すべてをわかったかのようなニュアンスで。
答えは分からなくていいし、分かってしまったら成長がそこで終わりそうで。
「解る」より「気づく」のほうが感覚としてはしっくりきます。
